一人の女性、国会への挑戦

 

 刺すような寒さの深夜午前2時。丸子やすこ氏(44)は集まった支援者に深々と頭を下げていた。衆議院議員選挙の落選。東京第5区、若宮健嗣氏(自民)85,408票に対し、丸子安子氏(未来)19,462票。およそ65,000票強大差をつけられた。日本の選挙の三バン(地盤・看板・鞄)を見せつけられた結果となってしまった。

「これが一般市民が選挙に出るということ。やったことは無駄ではない。次につなげていこうと思う。」

気丈に振る舞うが、負けん気の強い彼女だ。悔しさを堪えているのが見て取れた。

 全く国政に関わったことのない普通の女性が選挙にでる。安易に国政に手を出そうとしたその女性の行為は、果たして無駄なことだろうか。丸子やすこ氏が選挙に出るときにぶち当たった障害。それは、この国で普通に生きる人が真面目に国政を考えたとき、ますます政治家を縁遠いものだと感じてしまうような状況である。決してきれいごとではない、極めてオトナな聖域。これが日本の選挙である。

 

彼女がまずしなければならなかったのは、供託金集めである。供託金とは、選挙に立候補する者が法務局に預けなければならないお金である。小選挙区だけで300万円。それに加えて政党に入って比例選挙区も重複立候補する場合は、あと300万円用意する。彼女の場合、以前から付き合いのあった協力者のおかげで、「日本未来の党」からの公認を得ることができていたので重複立候補ということになる。合計金額600万円。恐ろしく高い。最初に聞いたときは愕然とした。選挙に立候補するのに、なぜこんなにもお金を払わなければならないのか。そもそも一人あたりの年収が300万円を切る人口が40%の時代に、合計600万円などという大金がどこから出てくるのか。世界的にみてもこの金額はとび抜けて高い(イギリス9万円。オーストラリア5万円。韓国150万円)。「貧乏人は選挙には出るな。」そんな印象だ。「候補者の乱立を防ぐ。」公職選挙法の建前はそのようにある。しかし、大金をすぐに出すことができる、富裕層だけが参加できるのが国政ではない。それでも彼女は、選挙公示直前までに何とか用意することができた。それを助けたのは丸子安子氏の思いに賛同した支持者のカンパ。そして埼玉5区から出馬した藤島利久氏。なんと彼は安子氏に自分が集めた供託金300万円を譲ったのである。藤島氏自身、期日ギリギリに支援者から何とか寄付金を得ることができたからよかったようなものの、なぜそのような無謀なことをしたのだろう。一歩間違えば自分が選挙に出られず、支援者に頭を下げることになっていたかもしれない。「普通そんなことしない。やるべきことだと思ったから譲った。それで自分の供託金が期日までに集まらなかったらそれだけの男だった、ということ。悔いはないよ。」藤島氏は飄々と答えた。藤島氏からの劇的な支援。今回の選挙に関して言えば、安子氏の費用600万は何とか賄われた。しかし、これが普通だとはもちろん言わない。一般的に立候補者はこのバカ高い供託金を払い、有効投票総数の10%に満たない場合はそのお金を国家に没収されてしまう。

 

ある支援者の女性は、家の近所でのビラ配り・演説を嫌がっていた。「知り合いに見られたら恥ずかしい。」しかし彼女はそれでも約5分程度、安子氏のために街頭演説をしてくれた。日本社会が育んだ、特定の候補者を支持することが可笑しい、政治を語る人が特異な、未来の日本について議論することを白けさせる、そんな空気はなんなのだろう。

「教育制度自体おかしい。自分で考えることをさせない、みんなと同じであることがよしとされる。」安子氏はそう語っていたが、私もその意見に同意した。あるスイスの友人によると、学生の時選挙期間ともなるとクラス中が政治の話でもち切りになっていたそうだ。日本では、友人同士で選挙の話どころか政治の話をすることはまずないだろう。

目黒区で今年20歳になり、選挙権を与えられたという男性に話を聞いてみた。予想通り、忙しいから選挙にはいかないそうだ。「選挙のことより、クリスマスを誰と過ごすか、こっちの方が重要ですよ。」そう冗談めかして言っていた。「でも、もし知らない間に徴兵制でも成立したら、クリスマスどころではないですよ。」そう尋ねたら、「それは嫌。」だそうだ。考えなくても進んでいく政治が自身にとって不利益となったとき、彼らはなんと言うのだろう。

 

「実は衆議院選挙に出ることになりました。」と言うたびに、仰天した顔で聞き返す人ばかりだった。今まで自分の娘や息子の同級生の普通のお母さんだった人なのだから、尚更だ。近所に住む女性に感想を聞いてみた。「いやもう、びっくりしたとしか言いようがない。」

あえて主観を込めて言えば、あれだけの震災被害を経験しながら目黒区の人たちの政治的感情はそのままなのだろうか。大津波で大切な命が奪われ、福島の原発が爆発し、危険な後処理は特定の人だけに任せられる現状。毎週金曜日には官邸前でデモが行われ、政治への不信は募るばかり。日本そのものが大きな転機を迎えている。国民の政治への関心は大きくなっている。そう思っていた。気持ちは判るが、近所から立候補者が出てビックリ仰天しているだけの場合ではないのではというのが、私のその時の感想であった。その後、投票率が史上最低の59.32%ということの方にビックリさせられてしまった。日本人の選挙離れは何が起ころうと関係がないようだ。東京5区の投票率が小選挙区63.23%、比例区64.26%と比較的高かったのが救いだ。

   「選挙の旗を持って歩かなければ公職選挙法違反になる。それなのに準備できていないなんて、どういうことですか。」朝、安子氏は苛立ちを露わに支援者にぶつけた。当の男性はほとんど平謝りで言い訳を繰り返すばかり。しまいには他の男性支援者もその要領の悪さに呆れて言葉を荒げる場面もあった。皆ボランティアで集まる上に、選挙の素人ばかり。人数も少なければ、その少ない人数の中で多くの仕事を手分けしてやらざるを得ない。仕方のないことではあるが、誰しも冷静ではいられない。

 「支援する人数が少なすぎる。党からの応援もないし、路上で『がんばってください。』

って言うなら、お願いだから一度事務所に来て手伝ってほしい。」

 彼女は朝の8時から夜の20時まで歩き回り、演説しクタクタで家のコタツで寝てしまう。そんな毎日を繰り返す。しかし支援者は毎日違う顔ぶれで、常に安子氏の決断を待つ様子が見受けられた。「遠慮なんかしないでほしい。」「それくらいのことは自分で考えてやって下さい。」繰り返し彼女が言う言葉には、切実な願いが込められていた。事務所のこと、書類のこと、意見や公演場所の手配、立候補する者が何でも決断をしないと前に進まない状態。それは候補者の自滅である。

  今回丸子安子氏の陣営には見受けられなかったが、実際に他の候補者側からの妨害や嫌がらせ、スパイ行為がある。最悪の場合、支援者が逮捕されてしまうこともある。安子氏の事務所にも「鳴り物がうるさい。」とクレームの電話がかかってきたそうだ。ちょっと車を止めただけで警察が来たり、大物候補者が応援演説をしている隣で、監視をしている者もいた。「駅の敷地を支援者の誰かが侵そうものならすぐに逮捕してやろう、という魂胆だ。」若い女性の安子氏の支援者は声を潜めて憤っていた。

  『公職選挙法第62条、公職の候補者は、当該選挙の各開票区における選挙人名簿に登録された者の中から、本人の承諾を得て、開票立会人となるべき者1人を定め、その選挙の期日前3日までに、市町村の選挙管理委員会に届け出ることができる。』

 投票に際して、候補者の立会人を出さないほうがおかしい。丸子安子氏は投票日の3日前に何とか立会人を目黒区の投票所に小選挙区と比例代表の2名分申し込むことができた。しかし、目黒区の選挙管理委員の一人に公示日の説明で、「今時開票の立会をする人なんていませんよ。」と言われたそうだ。ところがそれは間違いだ。運よく協力者に指摘してもらえたからよかったようなものの、その言葉が事実なら、選管が故意に候補者の権利を妨害したことになる。目黒区に問い合わせたところ「担当者も解らないので、お答えしかねる。」という答え

だった。安子氏側の聞き間違いにしてもその結果、申請ギリギリ慌てて立会人を募ったため、支援者の予定が合わず世田谷区の開票所に立会人を出すことができなかった(東京5区は、目黒区と世田谷区2つの地域を跨いだ選挙区)。他にも、未来の党本部に支援者の男性が書類を届けるのに同行した。彼がスタッフに実印をそのまま渡せと言われ、渡してしまった。その後、公示日当日安子氏の書類で実印が必要だということが判明し、再度取りに戻らなければならない、というアクシデントがあった。はじめてだからと言ってだれも親切丁寧に教えてはくれないのだ。経験するしかない。選挙に慣れた政治家や老舗の政党が有利な選挙。日本の選挙は手練れたお金持ちを政治家とするのが狙いなのか、とも感じることもあった。

彼女の供託金600万円は国に没収されてしまった。寄付をしてくれた人からは感謝はされるが、文句を言う人は一人もいないそうだ。一口10,000円は一般市民にしては大金である。よくぞ600万円も集めたものだ。「奇跡をみているようだ。」彼女の夫はつぶやいた。ズブの素人が国会議員に立候補する。そのこと自体は一般的に奇抜なことである。一方でその行動がなければ彼女の言葉は多くの国民の声として、無視され続けたことだろう。街頭での呼びかけができる最後の日の夜、彼女の周りには人だかりができた。毎日同行したある男性支援者によると、安子氏に声をかけるのは圧倒的に子供連れの女性が多かったそうだ。「原発事故も放射能も怖い。自分たちの子供の未来に原発の不安は残したくない。」そう言って、涙ぐむ人もいたそうだ。

「誰だって選挙に出られる。そのことを知ってほしい。私の後に続いてくれる人が一人でもいれば。一般市民代表として私は声を上げ続ける。」

そういう彼女の前向きな姿勢に可能性を見出すのだろう。丸子安子氏の国政への挑戦は始まったばかりである。