15のきみへ・・・

 札幌の中学1年生が走り書きのような遺書を残して自殺した。親にとってはこの上もない衝撃であっただろう。いじめの問題は今も昔も変わることなく、近年ではネット環境の普及により、むしろより陰湿に見えにくく、子供たちの社会に根付いている。私が中学生の時も、愛知県西尾市で男子中学生が自殺をした。それが大々的にテレビや新聞で取り上げられ、私の中学の先生たちも進んでその問題を取り上げていた。

 同じ学年で一人仲間はずれにされている女子生徒がいた。私は彼女とはみんなと一緒になって仲間はずれにする理由もないので、普通に話をしていた。ある日先生から呼び出され、彼女が嫌われる理由を尋ねられた。「人の悪口ばかり言うからではないですか。」そんなことを言った記憶がある。しかし、それが彼女が周りから自分を守る防衛手段であったことは容易に想像できた。そんなことも判らない大人が嫌で、本の世界に没頭し自殺することばかり考えていた。無の世界に漠然とした憧れがあった。

 今の中学生の心の中も、私の時代とさして変わらないだろう。何一つ自分で決められない。将来のことで親と衝突する。それが怖い。嫌な気分の食卓。何のためにしているのか判らない数式、人並みに運動もできない。自分が思っていなくても、周りの意見に同調しないといけない。ずっと続くかもしれない苦痛。

 彼らの悶々としたやり場のない気持ち。それがいじめに繋がる一端を担っているのだろう。自分とちょっとでも違うものを排除し、優越感に浸りたい。なんともエゲツナイ気持ちだ。そんな気持ちは大人になればなくなるのか。そんなことはない。この気持ちは残念ながら、ずっと持ち続ける感情なのだ。今の大人の世界なんて、特に排他的で偏った考え方がたくさんある。

 歪んだ中学校時代を過ごした私も、今では三十路を超えてしまった。やり場のない気持ちを抱えた大人に囲まれ、自分もやり場のない不安を抱え、フリーランスのカメラマンの道に踏み出した。お金の問題はどうにもならないが、少しずつ私の土台を作っているところだ。自殺をした中学生のニュースを聞いたとき、ふと自分の暗い中学の思い出が蘇った。「私と同じ気持ち。」だった。生きていればこそ、素晴らしい出会いと経験がある。こんなやり場のない不安な世の中だけれども。