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それでも前に…震災を、馬と共に
「こんな時に開催する必要があるのか。」
ぎりぎりまで議論をした上での結論。野馬追は震災の年に開催という道を歩んだ。2011年3月11日の大震災、津波、そして福島第一原発の爆発事故。立て続けに災害に見舞われた福島県南相馬市。そこには一千年以上続く伝統の祭り、相馬野馬追がある。毎年16万人以上の観客を動員する、全国的に有名な祭りである。
この野馬追行事は、例年相馬市の中村神社、南相馬市原町区の太田神社、同じく南相馬市小高区の小高神社を舞台に開催される。しかし、3つの神社のうちのひとつ、小高神社は原発事故の警戒区域の中に入ってしまっていた(2011年7月当時)。小高区に住んでいた人々も放射能の影響で故郷を離れざるを得ない状態。しかも、被災した人や馬も多くいる。そんな状態で行うことに疑問を持つ人もいた。
福島県南相馬市小高区、警戒区域ぎりぎりに牛舎を構える酪農家の男性(64)は震災後初の野馬追の儀式を自宅のすぐ裏の多珂神社でやることに疑問を持っていた。
「小高の代わりに無理やり違う神社でやってもしょうがない。本当に『鎮魂』の意味で執り行うなら、小高に拘るべきだ。本当の犠牲者はそこにいるんだから。」
原発事故は伝統の祭りにさえ暗い影を落としていた。
東北の復興を背負う「野馬追」は、開催を歓迎する声と反対の声、多くの思いを伴って出発した。
星秀正さん(46)は妻、さとみさん(当時43歳)を津波で失った。
「あの震災の後、(野馬追への参加を)やめようと思っていたんだ。お金もかかるし、それどころじゃないだろうって……」。20歳の時からずっと参加し続けていた野馬追。馬も2頭育てていたが、震災後津波で行方不明となった妻を捜すことに精いっぱいで育てられず、死なせてしまった。当たり前にあった家族を一度に失った気持ちは如何ばかりか。そんな悲しみの中にいた星さんをもう一度野馬追に呼び戻した存在が、去年から野馬追に武者姿で参加するようになった一人娘の幸栄紀さん(10)。そして、昔からの知人が譲ってくれた馬、サトミシルバー(9才・雄)だった。
亡き妻の分まで母を努める父であり、昼は会社で働きながら早朝馬の世話。多忙な生活の中で、今も3頭の馬を育てている。
「(忙しい日々に)迷っていないかと言われればウソになる。今も家族に反対されればどうなのか分からない」。それでも、やめないのは野馬追をやめようかと思っていたときに応援してくれた人や、娘にできるだけのことをしてやりたい思いからだ。
「今年の祭りでは『お先乗り』を務めることになっています。より一層引き締めて練習に打ち込まなければ……」星さんはそう言い、誇らしげにサトミシルバーの背中を撫でた。どうやら星さんたちは、今年野馬追に参加してくれるようだ。
去年7月下旬。相馬野馬追は3度目の開催となった。2011年震災当時は3万7000人。翌年は15万8000人。今年は例年をさらに上回る来場者がこの祭を観るために来訪した。震災の傷跡は未だ生々しく海岸に残る。
馬と福島の人たちの歩みは今も止まることはない――。