「前衛」2013年6月号のグラビア掲載。
「この大会を連覇する。それこそが私たちの希望なのです。」彼は審査結果が出る前日、夕方の取材に力強く答えていた。口蹄疫の終息宣言から2年。2012年10月26日~29日、長崎県で第10回全国和牛能力共進会が開催された。永友浄さん(68)の牛「ただふく6の2」は、全国から集まった選り抜きの牛の中(第三区若雌の2全33頭)、見事第一位に選ばれた。
彼の牛舎は2年前の空っぽの状態から始まった。2010年夏、宮崎県児湯郡都農町139例目の口蹄疫が確認され、すべて殺処分された。全39頭。前回の鳥取県大会で全国第2位に選ばれた牛(あけみ55)も含まれていた。一頭一頭ワクチン、鎮静剤を打つと2分ほどで動かなくなる。その後、頸動脈に静脈注射をして土に埋められた。何日もかけて手塩にかけた牛は、いとも簡単にたった一日でいなくなってしまった。
口蹄疫終息宣言から2年。全国的には東日本大震災の只中、まったく影を潜めてしまった。しかし、その間宮崎の畜産農家は宮崎牛ブランドを守るため、この大会の優勝を目指していた。同大会で宮崎の牛は第三区以外にも、第二区(若雌の1)・四区(系統雌牛群)・七区(総合評価群)を制した。「たった2年ですよ。口蹄疫の被害で選手層も薄い中、よくぞここまで。」そう言って目を潤ませる、同じく宮崎県の畜産農家である松浦寿勝さん(57)。
和牛能力共進会とは、5年に一度開催される全国の和牛の品評会である。ここで決まった順位、成績は後々の和牛の値打ちに大きく関わってくる。それだけに全国から集まった畜産農家の目は真剣そのものだ。前回の鳥取県大会は5年前、2007年に行われた。宮崎県が全九区のうち七区を独占し、全国一の栄誉を勝ち取った。和牛農家の世界では、九州の特に鹿児島、宮崎、大分の和牛は全国的にレベルが高く、このような大会でも常に上位にくるのが通例である。ところが、2010年4月宮崎県で口蹄疫が発生。その後、約29万頭の牛・豚・鶏が殺処分された。宮崎県の畜産農家にとっては大打撃であった。
その後、畜産を諦める者もいた。永友さんにとって今回の大会に勝つことは全国の支援してくれた人たちへの恩返しであり、同じ頃亡くなった孫娘、茜さん(享年11)との約束であった。「前回の大会で第二位であったのだから、今回は必ず一番になる。」諦めるわけにはいかなかった。再開支援金を元手に、100万円の牛を買った。
「孫との約束が果たせた。最高ですよ。」誇らしげに胸を張る永友さんに、男泣きをする仲間たちが大勢いた。第三区の優勝牛「ただふく6の2」。宮崎牛の復興の象徴であり、県内で畜産を続ける男たちの最高の励みであったのだ。そんなプレッシャーを感じるわけもなく、いつも通り草を食み妊娠5か月のお腹を揺らしていた。宮崎の希望は来年4月、新しい命を産む。