教科書は語らない。

 広島に原爆が投下されたのは、1945(昭和20)年8月6日。次いで長崎に落とされたのは、8月9日。小学校から繰り返し覚えさせられた、忘れてはならないことである。。原爆が最初に爆発したときの被害以外にも、現地に高い放射能が残っている間に広島・長崎に入った人たちにも原爆は猛威を奮っていた。入市被爆者である。強烈な爆発は言わずもがな多くの犠牲者をだした。彼らの救護のために爆心地に入った人々が数年後、次々に重複して癌を発症した。

「原爆投下から100時間経過後、約2週間以内に爆心地から2㎞以内の地点に、1週間程度以上滞在した」人は被爆者として認定され、国から医療特別手当が出る。直接被ばくした患者ではないと、国の認定の壁は高い。

 と、言われ現在。2011年3月12日~14日、福島第一原発の1・3・4号機は水素爆発。周囲に放射線とセシウムをまき散らした。今現在(2012年8月)でも福島県夫沢地区では通常の488倍の放射線が確認されている。当然、農作物・畜産・水産物にも放射線検査。地震と津波で排出された瓦礫にも、高い放射線量が出るため、受け入れを拒否する自治体があると聞く。

 しかし、広島や長崎で原爆が落とされたときは一体どうしていたのだろう。そんなこと学校の教科書には書いていない。明らかに大量の瓦礫が発生しているはずなのに。まさか被ばくした食物や水を平気で口にしていたのだろうか。

 日本人は80年経って何も得ていないのか。前を向いても、忘れてはならないことはある。大体の日本人は教科書を見て育つ。国家は悲惨な事実だけを浮き彫りにし、そこからどのような問題が出て、どのように乗り越えてきたかを伝えようとしない。